1年の成長。

「ずっとお稽古できるのよ」

アトリエK なぎなた教室

平成29年度(第40回)全日本少年少女武道錬成大会

8月6日、日本武道館へ行って参りました。アトリエからは小学生2名の参加です。管理人は審判員として、先生は大会参与として。

日本全国北から南、1186名の参加です。昨年より50名ほど増えたそうです。

アトリエの子供達の演技競技、試合競技は全て1回戦で終了しました。初めての全国大会、よく、頑張りましたよ。管理人は2コートの審判をしていました。隣1コートで小学5、6年生の演技競技をチラリと見ました。また、1コートで3、4年生の娘の試合競技、慣れない中でたくさん打ちを出しました。2コートの5、6年生の試合競技、Hちゃんの試合では副審でした。しっかり打ちを出していましたよ。二人とも、初めての全国大会で初めての試合競技だったのです!二人とも、終わった後は悔し泣きをしていました。凄い!負けて悔しくて泣くとは、、強く、上手になりますね。でももっともっとお稽古をしないとね。Hちゃんが泣くのを見て、大先生は「なぎなた始まったばかりでしょう。ずっとお稽古できるのよ。この歳になってもね」(ご自分を指して)「たくさんお稽古しましょう」そう声をかけました。

プログラムに母と私と娘の名前がそれぞれ載りました。感慨深いですね。30年前に選手として出場した時、参与には祖母の、審判には母の、そして選手には姉2人と私の名前も載っていたんだなぁ。。と。あの時には分かり得なかったことも今、よく分かります。


2コートの審判をしました。全8コート中、最多の試合数のコートでした。管理人、中学Bの演技競技の主審をさせていただきました。2種を取ったばかりですが、2種ということもあり大きな仕事をさせていただきました。演技競技の主審、大会では初めてでした。県内の大会でも、それまでは3種ということもあり、2審前後でした。初めての演技審判主審を全国大会でさせていただきました。中学生の演技競技はしかけ応じ2本の中で判定します。そして通常よりも出入りのタイミングが非常に早く、後のチームが向きを変えて一歩目で笛を吹きます。1審で42試合、主審で41試合させていただきました。計83試合!!!

試合競技は小学5年生A・Bと決勝、小学5・6年生男子です。およそ30分毎の審判を交互に計5回です。どちらの決勝の審判もさせていただきました。2種の養成研修での勉強が本当に理解出来ました。研修会・講習会、沢山学びがあります。ですが養成はそこに辿りつくための勉強ですから、本当に必死に学んだのだと感じました。自分の審判が上手く出来たかはわかりません。自身としては頑張りました。感じたのは審判全体の動き、試合の進み方、今までは見えなかったことがよく見えました。

そしてなんと、5年生の試合競技でフジテレビの撮影が入ったのです。。(´⊙ω⊙`) 幕張の女の子を追った撮影ということで、女の子は決勝まで進みました。そして、、決勝の主審、管理人でした ヾ(⌒(ノ'ω’)ノー なんでまた。。それまでもカメラのないスタンドがコートの周りに幾つもあり、少々審判しづらいこともありました。が!決勝の主審で、目の前にカメラがこちらを向いてスタンバイしていましたら、、やりにくいし、化粧直ししたかったとか、瞬間思いますよ!でも出っぱなしだったので不可能ですがね。まぁ、そんな思いは瞬時で消え、厳正なる審判を致しました。

また2コートは何故か、、試合中の道具外れが多くありました。3試合に1度はあったのでは無いでしょうか・・・大ハプニングは男子の試合で袴の紐が解けて、シッポのように袴の裾からチョロリと出ていたことです。。(;´艸`)ぁぁぁ しかも主審時に。一度指導してもまた解け、二度目には審判旗を片手に持ち、「こう!紐を腰板に挟んで!帯にグッと!グッと絡めて押し込むの!!」後ろを見せ、凄い剣幕で右手で腰板に押し込むジェスチャー。コートの外からでも分かったことでしょう。。「絶対にこの試合で外れないようにして!!!」鬼気迫って見えたことと思います。。男の子、ごめんね。試合数最多のコートを運営するにあたって、時間との戦いでもあったのですよ。。だけど、試合中に袴の紐が外れるのに会ったのは初めてだったから、まして全国大会の主審中にw

大会終了後、審判控え室で審判長からお話がありました。小学3・4年生の演技競技では、競技中に競技者の1人が「トイレ!!」と言って競技を中断してそのままトイレに駆け込んだ、、そうです。競技は中断され、戻って来て初めからやり直し。結果相手チームが勝ち進みましたが、もし中断させたチームが進んでいたら、問題となったかもしれないとのこと。中断せず続けさせるかどうか、これから先、議題になるのかもしれません。

コート主任の先生からは「研修会にどんどん参加し、学びましょう!」そう言っていただけました。


審判をするとは、己の稽古の成果を見る(見せる)時であると同時に、鍛錬の場であります。全日本少年少女錬成大会は正にそれを経験できる場です。多くの学びと出会いがありました。5月の審議会、4月6月の2種養成研修会でそれぞれご一緒した同い年の仲間とも会えました。また、10年ぶりにお会いして、私を覚えていてくださった方もいます。多くの先生方にお会いしました。

また、来年、母と娘たちと一緒に参加出来るように、技を練り、心を磨き、気力を高め、体力を養い、規律に従い、礼譲を尊び、信義を重んじ、愛するなぎなたを、素敵なアトリエの仲間たちと研鑽を積んで行きたいと強く思います。


母はひな壇で、梶山先生、辻村先生と並びました。お二人とも水戸に所縁のあるお方です。

お二人ともお父様が東武館のお弟子さんでした。辻村先生のお父様は道場養子となり終戦後の一時期は小澤の邸内の一角にご家族でお住まいだったそうです。梶山先生は終戦後の一時期、常陸太田のほうにお住まいで、よく東武館に来られていたそうです。辻村先生にお会いしますと、時々祖母の話をしてくださいます。「お姉ちゃま、お姉ちゃまとお呼びしていたのよ」そう嬉しそうにお話ししてくださいます。母もね、私との辻村先生の話題になると「みっちゃんが、」そう話しの中で呼ぶのですよ。梶山先生はたっちゃんと呼んでいたようです。

両先生、母の両親(管理人の祖父母)をよく覚えていてくださいます。戦後の東武館の再建の苦労のことも。錬成大会では梶山先生がなぎなた専用の道場、アトリエKを建設したことを大変感動してくださったそうです。「本当に誇らしく素晴らしい!」と。辻村先生もお隣で頷いていらっしゃったそうです。

どうですか。今私たちが稽古をしているあの場所で、70年も前に両範士先生もお稽古をされていたんですよ。そして、戦後、全なの新しいなぎなたのしかけ応じの形成の研究会でも東武館を利用したこともあったそうです。このアトリエの前身の道場で、私たちが稽古するしかけ応じの原型が研究されていたとうこと。今は知る人は母ぐらいしかいないようですが。

祖母が他界する前、私はよく、祖母の女学生時代の話を好んで聞きました。今、なぎなたのことをもっと訊いておけばよかったと、少し後悔しています。ですから、今、母になぎなたのことを沢山たくさん、詳しく訊いています。なぎなたと、水戸東武館、この地について。東武館については誰も知らないこと、母は沢山知っています。勿論そこで生まれ育ったなら当たり前のことなのですが。なぎなたのことも、古く、昔の先生方のお話も。


錬成大会のあとは一人、ゆっくりと爆睡しながら常磐線特急で帰宅しました。

https://atoriek-naginata.localinfo.jp/posts/2769827

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