8月4日(土)、土用稽古4日目。納め会。
一対多数。しかけ応じ。
形。
道具を付けて打ち返し。互角稽古、引き立て稽古。
試合稽古。
ギュウギュウではいるものの、不便を感じさせません。先生に合わせて戴かなくても、ご指導を戴かなくても、それぞれがその相手と一心に稽古します。相手が先生でなくても、こんなに気を入れて、尊敬を持って稽古しているんです。序列や年齢から離れ、この一本に心を込めて振ります。
「アトリエのお稽古で解き放されているようです」
そう話されましたね。究極だと思います。やはり修行ですから、悩んだり、がっかりしたり、挫けそうになる時もあります。ですが、同時に解放されているようです。課題は山のようにあり、一歩進んでも次の課題が出てきます。それでも稽古の終わりには、充実して出し切った感があります。もう、2時間で充分です。
土用稽古で一般の方がお二人、体験で参加されました。お二人とも、「自分の稽古ができた」「自分の稽古ってこういうことかと分かった」そう話していました。専門の方たちですよ。
心をね、平らにして、習うんです。そう、これが本物のアトリエの稽古ですよ。
子どもたち、皆勤賞です。試合稽古も頑張りましたね。明日の錬成大会、精一杯頑張ります。アトリエからはY先生がコート審判主任、管理人とHさんが審判で。大先生は下の子とお留守番です。小学生3人は選手です。高校生に監督をしてもらいます。
今、常磐線特急に揺られています。初めての上の娘と2人だけの小旅行。夏休みです♪
昨年の納め会のブログ、リブログします。
もう一つ、昨年の錬成大会のブログも面白かったので、次にリブログします。
8月5日(土)納会。100人いれば100通りのしかけ応じ。
10名(内2名小学生、1名幼児)。
一対多数のち、しかけ応じ1−8本目。小学生は1−5本目。
形1、2本目。
小学生は2、3本目を入退場込み。
道具をつけて打ち返し、掛かり稽古。
土曜日も充分な気力で豊かなお稽古でした。
形は通してやり始めましたが、少しあやふやなところが出て来ましたので、2本目を深く稽古しました。2本目の打と仕の出たり引いたりという立ち位置が変わるところは、なんとなくちぐはぐというか、つぎはぎ?というか、斜めに出たり、斜めに下がったりと。。自分の体をどう動かすかを必死に考えて稽古するところだと思います。本当に、打突どころじゃないですよね'`,、('∀`) '`,、笑うしかない。本当に呼吸が大切なところです。体のさばきがそれなりに出来るようになっても、相手が出るところの胴を引切り。相手に払われたところをなぎなたを振りかぶって(※振り返しの要領で)半歩でて、相手が胴を切りにきたからギリギリのところで体さばきをつけてさがる。これも真剣だからこそ、打が胴を切られるところで瞬間体さばきをつけることができます。管理人は先生とのお稽古で、何度か本当に胴を切られました。いえ、本当ではないのですが、真剣だったら切られていたという、切られ心地?のことです。勿論こちらも無我夢中で側面にいくからですよ。きっと恐いぐらいの迫力で打突に行くから、仕はギリギリのところで払い、胴を切りにいくことができます。でも理合とは面白いですね。恐いぐらいの側面がきたから恐くて先に体を動かして払おうとしてもなぎなたが当たらないのですよね。かえって危険を招きます。5本目も同じですね。真剣で命懸けだからこそ出来る技がある。
皆様、本当に気力に満ちています。初二段の方としかけ応じをしました。体の動きはまだぎこちないところがありますが、熟練者の様な気の入り方でした。熟練者でもこうはなかなか出来ないですよ。本当に驚きました。1ヶ月前と全然違います。本当に、、なぎなたによって気力が満ち溢れていらっしゃるんだと心震えました。 そうしたらね、納会が終わってから母が、同じような気持ちでその方を見ていたことを話してくれました。相対しなくても伝わる気力!凄い!!
納会での一言で、どうしようかと考え、ブログにも書き、水曜納会でもお話ししたしかけ応じが楽しくなったとのことをお話ししました。前回それをブログで書いている時に、(あぁ、100人と相対したら100通りのしかけ応じがあるんだ・・・素晴らしい!!)と思いが出て、記したんですよ。それを土曜の納会でお話ししました。前回のブログ通りです。形はどなたとお稽古しても、「形」として同じような感じ。と。勿論それはそれで深いものです。 管理人の一言が終わったらすぐに先生が「しかけ応じもそうですが、形も100人いれば100通りの形に会えるのよ」そうお話しされました。「でもしかけ応じをそう感じたひでさんは、そこまで辿りついたということですね」そう言ってくれました。そうか・・・
以前ブログに、「あなたのなぎなたと私のなぎなたが違って良いはずがない」のようなことを書いた記憶があります。それはそれぞれが勝手な理解をして、自分勝手に振ることはおかしいと思うよ。という意味で書きました。呼吸を合わせて、気を合わせることはその時だけでも相手を信頼して挑むということだと思うからです。
でも納会で先生が言われたことは、、100人入れば100通りの形。これは、、考えました。もしかして相手との綱引きみたいな感じなのでしょうか?なぎなたで歩み寄っていると思っていましたが、引き合っている?そう考えたら、、しっくりきます。でもね、相手を伺っているわけでもなく、調子をとっているわけでもなく。引き合っているとすれば、100人に100通りの引き方ですよね。全部の相手と同じ呼吸で稽古するわけではないということ。当たり前といったら当たり前なのですが。。
歩み寄りも引き合いも感覚的なことです。考えました。多分ね、今のアトリエのお稽古は、引き合うところに来たのかもしれません。それは管理人だけのことじゃなくて。昨年は伺い、恐る恐る歩み寄っていました。今はどうですか。皆様喜びに満ちていますね。先生だけが先生ではありませんね。仲間も気づかせてくれる素晴らしい先生ですね。こう、信頼して全力で、命懸けで稽古をできるから、だから引き合うことが出来ますね。もう既に歩み寄った私たちだから出来ることです。
管理人がほんの少し先にそう感じただけで、これを読んだ皆様もすぐにアトリエのその気を感じますよ、きっと。
さて、日は変わりました。今日6日は全日本少年少女なぎなた錬成大会です。母はひな壇に、私は審判に、娘は選手で行って参ります!下の子はお留守番〜
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