5月16日(水)、17日(木)、19日(土)、お稽古。
16日。8名(幼1)。
一体多数(無声)、しかけ応じ1−8本目。
形。
17日。4名(小2)。
19日。10名(小2、幼1)。
一体多数、しかけ応じ1、2、3本目。
形。
4月からしばらく、週一の記録になりました。新年度の忙しさと、ほんの少し、事務方の仕事をするようになった故です。週末にある講習会や大会、そして審議会。少し落ち着きました。今週末のリハーサル大会まで。ブログを書くのって意外と時間がかかるんです。でもそれも今月まで。6月から、二年目になるブログ、初心に戻り記します。
普段の稽古は大先生、Y先生が管理人の師です。お二人から習います。なぎなたの外のことも多く学んでいます。母であったり、誕生の前から見てくださったお二人ですから、稽古の時は(それ以外も)合気になれます。それはなぎなたにおける大先輩であることが勿論です。
合気になれるから、相脛が打てる。
今夜それに気づきました。先輩でなくとも、管理人との稽古を信頼してくださっている方との稽古は、引き合える。 また、稽古は別でも、管理人を知っている方でしたら気持ちを合わせようとお互いが思い、合気に近づく稽古ができる。
最もとするところは、「信頼」です。そして、「自信」と「謙虚」。
上にかかろうと、下と稽古しようと、まずそこに必要なのは信頼。
管理人の感覚として、、
先輩にお願いするときは、先輩の胸を借りて、思い切り掛かります。(勿論、理合等に沿って) そして受けて戴く、見て戴くという気持ちです(謙虚)。
後輩と稽古をするときは、「さあ来い!」という気持ちです。これは大先生がおっしゃった言葉です。後輩に胸を貸す時には、さぁ、向かって来なさい!と、堂々と胸を貸すのです。と。それには自信が必要です。
どちらも一生懸命なことが大切ですが、やはり上に立つ時には注意が必要です。「傍観者と成らない様に。」以前、榎戸先生から審判のご指導を戴きました。「背中が傍観者とならないように」 自分自身はどうあるべきか。管理人はそう理解しました。 稽古において、ただ見てやるのではない。100%、向かい、技を出しての先行く者であるべき。
では、同輩のものとの稽古はどうすれば良いのか。
実際、なぎなたの修練において、同輩というものはほぼありません。それは年齢的なものは大きいですが、段・称号、審判等の取得年があるからです。しかし、審査会・審議会ではどうであるか。それ以前は全てが様々でありますが、それを受験する時点では、同じ段階であるということになります。つまり、審査会・審議会の時でしか同輩と会えないのではないか。
管理人はそう考えました。皆様、どう考えますか?
だとしたら、同輩と稽古する機会はほとんどありません。会うときは審査(審議)の場。そこはしっかりと自分の今までの稽古を出す所。それは、遠慮なんかしていられません。。多分。
また新たな課題が出ました。
昨年の課題は「平常心」でした。
平常心とは、常日頃の平静な自然の状態にある心、如何なる難事に遭遇しても、泰然自若として心を乱すことなく物事に対処する心をいいます。(ハンドブックより)
なぎなたにおける平常心とは何か。それを考えた一年でした。稽古では喜び、驚き、感動等が多くあります。 平常心、考えますよね。 。。。 兎に角、稽古を積み重ねることに答えがあると感じました。
今年の課題。「まだ見ぬ人との合気」 つまり初見。
そして「四戒」。どの様な人と相対しても自分で居られるように。
ハードル高いです。
もう一年、強くなって挑みます。
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