5月9日(水)、10日(木)、12日(土)、お稽古。

9日、10名(幼1)。

一体多数のち、しかけ応じ。

形1、2、3本目。

道具をつけて打ち返し、基本打突。


10日、8名(高1、小3、幼1)。

一体多数のち、しかけ応じ。

形。

道具をつけて打ち返し、基本打突、地稽古。


12日、10名(小3、幼1)。

一体多数のち、しかけ応じ。

形1−5本。

道具をつけて打ち返し、地稽古。


どの日も、県民総体、国体予選、錬成大会に向けての稽古でありました。(おそらく。)

近い目標に接点を合わせ、稽古に励んでいます。

そしてそれは、長いなぎなた人生の、ほんの僅かな時間です。

僅かですが、それは尊い。



3週間前に、なぎなたの握り方を変えた管理人、つまり1ヶ月前の管理人と全く違う稽古をしているということです。この週には、無構えから中段の構え、折敷から無構え、等々、本当に全てのなぎなたとの時間が変わりました。

なぎなた。私たちが稽古している武道をなぎなたと言いますが、扱っている武器もなぎなたと言います。今の話は武器のことです。


今まで、「私たちが扱っているものは、棒ではありません。なぎなた(という武器)です。」そうお伝えしてきました。棒でなく、なぎなたをどう扱うか。


今感じていることは、

私が扱っているものは、棒なんだ。その棒を、どうなぎなたとして、なぎなたらしく扱って行けばいいのか。


そこに至りました。

それは握りを変えた、、修正したことによります。

今までは、私が扱っているものは、(棒ではなく)なぎなたなんだ。だから、なぎなたらしく扱わなくては成らない。

そう思っていました。


握りを変えると言うことは、管理人にとってはなぎなたの概念を変えたと言うことでしょうか。


本当に180°、変わってしまいました。

昨日まで私が扱っていた物はなぎなただったはずなのに、今は棒ですよ。


以前なら決して認めることも、受け入れることも出来なかった感覚です。

それは、本当に驚きでした。

でもそれは、「根底から覆す」という言葉ではないんです。180°変わったのに。

成るように成ったと言う言葉が相応しいのかもしれません。




でも、私はすっごくショックですよ。

私がずーーーーっと扱っていたものは、なぎなただと思っていたのですから。

幼い時からそう思っていました。それは、棒に見えるけれど、なぎなたと言う長い物だ。

ですから、そのなぎなたを、理合そっちのけで振り回しているのを見れば、それは間違った行為をしているのだと思い続けていた訳です。


しかし、今、管理人にとって、、

私が振っていたものは、棒であった。

そう感じたということです。


ですから、この棒であるものを、どうなぎなたとして、又、なぎなたらしく扱うべきなのか。



この週、

「ずっと、私たちが振っているものは、なぎなただと思って振っていたけれど。

でも、長い棒を扱っているんだなって感じた」

そう、先生に話しました。

「なぎなただと思っていたから、一生懸命に、(長い棒を)なぎなたらしく扱おうと思っていたんだと思う」

「中段の握り方も、どうしても上から絞るように、しっかりと握ろうとしていたのも、なぎなたを引っ張っていたんだと思う(体に沿わせようとして)」




「なぎなたに振られていたのね」




そうですね。

きっと。なぎなたを一生懸命に、上手に使おうと思っていて。

棒ではない、なぎなたを使おうと思っていて。


かなり、軽くなりました。

私が扱っているものは、棒です。

それをどう、なぎなたとして扱うか。


参考にしないでください。

感覚は、それぞれです。

あくまで、管理人の段階ですよ。

アトリエK なぎなた教室

茨城県水戸市にあるなぎなた教室のHPです。

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