第41回茨城県なぎなた大会にて。想うこと。

10月8日(日)に茨城県武道館にて第41回茨城県なぎなた大会が開催されました。

アトリエの皆様もそれぞれの所属から参加されました。

始めに演武がありました。

そして小学生の演技競技、試合競技、みんな頑張りました。アトリエの2人は、試合競技は県大会デビューでした。でも、会場を沸かせてくれました!2人ともとても良い動きをしていましたね!自分から打って取りに行こう!!という姿勢がよく見られました。体さばきも良かった。そして、声がよく出ていました!!ヾ(*´∀`*)ノ 演技競技2位、試合競技はHちゃんが2位。素晴らしい成績です! でもね、二人とも大先生から賞状を受け取れなくて少しがっかりしていました(o´艸`o)ァハ♪ なぎなた人生は長い長い♪

中学生、高校生、一般の演技競技、試合競技という順で大会が進みました。

皆様にはどんな大会だったでしょうか。

管理人は久しぶりに県大会の審判に起用して頂きました。一言では言い表せない、素晴らしい経験・学びをした1日になりました。本当に、今までの稽古の意味が、解りました。

やはり、一番大事なのは稽古です。自分の稽古です。正しい、理にかなった稽古です。

この日管理人にとって一番緊張した審判は、一般の演技競技で上げた一本の旗でした。寸前まで悩みました。審判として、そして競技として。でも、迷いはなかったんです。あの場で、あのチームは最高のなぎなた’らしい’演技を見せてくれました。相手は強化選手のチームでした。ですから悩んだのです。競技として。しかし、競技としても劣ってはいなく、それどころか本物のなぎなたを見せてくれました。管理人にとってあれ以上のものは他にありませんでした。皆様にはどう映ったかはわかりません。ですが、あの試合は、なぎなたは若さ、速さだけを競うものではない。正確さといっても、定規で引いたような、押し付けたものではない。そしてただ相手と合わせるものではない。技の深み、合気。それを教えてくれました。

なぎなたの姿勢、打突にはキメが必要です。ですがそれは定規で引いたようなものではありません。過程・・・真のなぎなたは打突する時に深みがあるのですよね。それはただ半身になるものではなく。現代のスポーツ化してきているなぎなたにはそれが無くなってきているようで残念です。

試合競技では、皆様、間合いを取って、体さばきをつけて、自分から堂々と挑んでいく姿が小学生の姿と重なりました。時に、自分より訓練された、強いものに挑んでいく時の姿勢。勿論あの場では強化選手が2本取って勝たなくてはいけません。ですから取られて良いのです。ですが、皆様の切っ先の動き、姿勢、来年には強化選手の脅威になるかと感じました。

試合とは不思議なことに、動きに慣れて来ますと、強化選手に取られやすくなるのです。まだ試合の方法もわからない時には勝手に間合いに入って来たり、必死に打たれないように(打てなくても)なぎなたを立てて防御したり、押し付けたりと、強化選手にとってもやりにくい相手なのです。しかし皆様は試合に繋がる稽古をしばらくされてきています。ですから間合いの取り方、つまり体さばきも上手にできるようになっているのですね。つまりは強化選手にとっても間合いが取りやすくなって来ているということです。面白い理合だと感じます。ですが皆様、なぎなたを相手にしっかりつけてやすやすと入らせない!その気力がしっかりと伝わって来ました。

アトリエの人で県大会でなぎなたデビューの方がいましたね。中学生の時にお稽古をされていましたが、数年おき、7月からアトリエの人になりました。道具を着けてからはたったの2ヶ月ちょっとですよ!それであの試合です!!相手の方は高校生の時に大変厳しいお稽古をされてきた、動ける方でした。ですが、アトリエのRさん。デビュー戦で素晴らしい動きでしたね!管理人、審判員席で見ていましたが、驚きの連続でした!!あの構え。堂々とした態度。そして自分を守りつつ相手を積極的に攻める試合。(うわーーーーーーー!!!!)と目を見張りました。Rさん、大会の前の週、土曜、水曜、木曜と三回に渡って、先生に道具の稽古をじっくりとつけて戴いていました。その結果です。Rさんのあの構えは先生がぐっと構えてつけるところにソックリです。相手は入りにくいに決まっています。実際、Rさんが押していましたね。

県大会であらためて、弟子は師と同じ形になることを再確認しました。学校、教室、クラブの指導者と弟子・生徒は本当に同じフォームになっています。先生が小・中学生の部の表彰の講評をされました。皆様、覚えていらっしゃいますね。「受け手がこんなに一生懸命やっているのです。指導者が正しい指導をしないでいられますか」こんなだったかと思います。本当に胸に響きました。それぞれのお教室の指導者の方々にも響いたと思います。

何年か前に、母となぎなたを広めることについて話したことがあります。「なぎなたはね、難しいの。そして正しいことを教えることは尚、難しいの。正しいものを教えることができる指導者は、ほとんどいないでしょう。だから、これでいいのよ」そう言いました。本当にそうですね。なぎなたの競技人口が少ない理由の一つです。なぎなたは教える人がいなければ習うことはできない武道・競技です。教える立場になる人の指導力。良い競技者が良い指導者になれるわけではありません。 その時の先生の言葉は今のあさひなぐ効果に逆行していると捉える方もいるかもしれません。いいえ、裾のが広がることは嬉しいことです。しかし、その上に立つ、指導者のことを言っているのです。つまり、今稽古をしている私たちのことなんですね。正しいものを習わなければ正しいことをお伝えできないのです。ただ勝ちを求めて、棒で叩き合う、痣をつくり合うものはなぎなたではないということ。道具一つ一つを大切に、道場も、相手も、稽古の空間も、自分のように大事に想う気持ち。これらを示してお伝えできないのなら、なぎなたではない。ということです。

ですから稽古をする私たちは正しいものを求めなければなりません。正しい理合を考えなければなりません。先生はいつでも正しいか。これは違いますね。どの世界でも同じだと思います。先生でも間違えることはある、、微妙な表現かもしれませんが、先生の伝え方、表現の仕方が、受け手に違うようにとられる。こういう時はあります。教授を受けるものとして、心を開くことは最も大切なことです。しかし、考えなくして全てを受け入れるわけではなく、自分でよく考え理解して受け取ることが大切です。そして疑問に思ったら、それを素直に問える仲間や先輩がいる稽古でありたいものです。

修練を積んでいく過程で、自分自身が最ものびる時があります。それはお伝えする機会、側になる時です。しかしそれは最も難しい時であります。でもその時は修練の過程で必要な期間です。

「受け手がこんなに一生懸命やっているのです。指導者が正しい指導をしないでいられますか」

真実で、大変に厳しい言葉ですね。つまりは指導者が常に、己自身に正しい稽古をしなければいけない。そう言っているのです。

私たちの先生はそうやって、今までも、現在も、そしてこれから先もずっと稽古をされていきます。

いつも母は言います。「指導者だからといって別に偉くもない。ただそれにおいてほんの少し先を行っているだけ」「役職は偉くなったわけではない。ただ順番にお役をいただいただけ。もっと働かなくてはいけない」

しめくくり。

「アトリエのみなさんの活躍が大会の質を向上させたと思うわ」

誇りに想って稽古を続けましょう!!!

長くなりました。打突台の薙ちゃんと審判の観点について、次回、書ければと思います。

アトリエK なぎなた教室

茨城県水戸市にあるなぎなた教室のHPです。

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