10月4日(水)お稽古。引き合うことと、引力。
10名(内1名幼児)。
一対多数のち、しかけ応じ1、3、6本目。
形1、3、4本目。
道具をつけて打ち返し、基本打突、地稽古。
週末の県大会へ向けての稽古になりました。しかけ応じ、難しいですね。。1本目の振り上げ面なんて、それを応じるなんて尚難しい。
大好きななぎなたの、大切なお稽古の時間ですから、いかにその稽古の時に自分を良い状態に持っていくか、用意しておくか、それを考える稽古になりました。誰しもがそうであると思いますが、身体も心も好調な時は稽古の全てが順調、いやそれ以上にハッピーなものになります。少し疲れがあったりと体調が優れない時、心は稽古を求めますが、身体と気がそこに追いつかない。なんだかちぐはぐなことをしている・・・。この日の稽古は管理人にはそうなってしまいました。なぎなたを新しいものにしたから使いにくいのかな、、なんてなぎなたに責任転嫁してみたりしてね。
でもこの日はY先生がお道具をお着けになりましたね!!嬉しいですね!!!そしてもちろん先生も、、地稽古お願いしました。先生は本当にガードが堅い。もうすぐ後期高齢者になられるんです。。(←小文字にしたいけれどできない。)
ここしばらく、稽古の感覚のことを書いていました。深くなぎなたを稽古するとは単に気持ちを合わせる訳では無く、歩み寄るものでもない。引き合うことなのではないのか。夏前からそう感じ、記しています。これはとても段階的な感覚なのかもしれません。でも、そう感じるのです。なぎなたを合わせ、心を歩み寄る。引き合うことはその先の感覚なのでは?引き合うということは、既に堅く結わえられているから引き合えるのでは?なぎなたの場合は物理的に結わえることはできません。ですからこの、引き合っているという感覚は、やはり心にあると感じます。引き合うと言うことは、もはや歩み寄ると言う、相手を伺っている段階ではなく、相手を信じること。尊敬すること。つまり大切に思うこと。
また、2、3、前のブログに先生の手の内に引力を感じたと書きました。なぎなたの先、物打ちの辺りがまるで手の平の様な動きをされるんです。なぎなた、長いんですよ!(当たり前)形1本目のなやし巻き落としも、6本目の突きの巻き上げも、先生の手から1〜1.5mは先にある部分が、まるで手の平のように柔らかくしなやかに軽く、繊細な動きをするんです。これを考えた時(6本目の巻き上げ)、昔々、故船原先生から「金魚すくいの(手の内)様に」とご指導を受けたと、先生が言っていたのを思い出しました。なるほど!金魚すくいは力が入っていたら上手くいきません。呼吸も間も大切です。そして手の内。でも手だけでは成りません。体から、腰からの動きが求められます。
ああ、世界は手の内で成っている?③を書けそうな気がしてきました。
引き合うことと引力を感じることを先生に話しました。とても嬉しそうでしたよ。
只今管理人、工房(アトリエ)秀でなぎなた製作中ですヾ(*´∀`*)ノ
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