7月19日(水)のお稽古。

10名。

一対多数のち、しかけ応じ1ー8本目。全身全霊をかけて稽古しました。全体がそうありました。先生は帰宅して、「今日は大満足」と久しぶりにおっしゃいました。「錬成道場のようだった」とも。全員が芯から、今この時に出せる全ての気を入れて稽古をした結果ですね。管理人も、命懸けでした。記したこともあって、気を引き締め、全てを出しました。しかけ応じの最後にお相手をお願いしたアトリエのSさん、インターネットはされていないのでブログはご覧にはなっていません。終わってから「死にそうでした」(´⊙ω⊙`)とおっしゃいました。「必死にやって、死にそうでした」だそうです!!!死んではいけません!!!ですが、、命懸けでお稽古されたのですね。(死にそうにならなくても、良いのです)

形、5本目。今日はお二人の方と、打ち落としが合いませんでした。命懸けで打ちに行ったので、怖くて先に体が動いてしまったのかな、私の面が届いていなかったか、、なんて思いながら、間合いの難しさ、呼吸の難しさを感じました。先週の土曜稽古でお話ししましたが、5本目の振り返して面、先生との時は、いつも管理人は母(この場合は完全に母への気持ち)の脳天を真っ二つに叩き割る気持ちで技を出しています。本気で面を打たないと、相手が落とせないからです。これは、相手を信じているから真剣の技を出せます。真剣の面を出せば必ず母は打ち落としてくれるという信頼です。仕は、面がきたからただ体捌きをつけて打ち落としているわけではありませんね。どなたも、真剣の面が来たら危機を感じて真剣に体捌きをつけるはずです。そこに、真のなぎなたが生まれます。

いつもなんとなく、こんな感じかな、でお稽古して居ますと、稽古の勘や機が育ちません。(形の教習本の用語集参考)道具をつけた試合の上達法はなにも道具をつけなければ出来ないということはありません。

※先生との5本目の振り返して面は脳天カチ割る気で行きますが、他の方とはそこまではしていません。ですから今日のあの技に関しては100%命懸けではありませんでした。やはり先生だから全てを掛けてお願いできるということもあります。皆様、それぞれの段階ですので、充分に相手を見て、技を出すということも稽古において大切なことです。

道具をつけて打ち返し、地稽古。


今日は珍しく母に「はい、秀さん」と呼ばれませんでした。見ていて充分に気迫ある稽古をしていたからお稽古しなくても良いと思ったそうです。・・・やっぱり見ていても分かるんですね。Y先生にも言われました。 そうお稽古出来たのは、やはり皆様とのお稽古だったからです。何人かのお方はこれを読んでいてくださり、そうでなくても皆様一生懸命、研究しながらお稽古されています。今日はいつも以上に、心が一つに成れた気がしてなりません。特に、しかけ応じでは無心に近くなれた気がしました。尊敬と信頼で成り立つ最高の稽古仲間です。有り難うございました。

アトリエK なぎなた教室

茨城県水戸市にあるなぎなた教室のHPです。

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