命懸けの意味。
前の晩、記事を書き終え、考えながら寝床へつきましたところ、考え過ぎて眠れず。。.( •́ .̫ •̀ ) 母と「命懸けで〜」の会話はよく覚えています。その後は正確には何と話したのかな。。夜中じゅう考えていました。
(自分の稽古において)
「命懸けで稽古してるよね」「そうよ。命懸けでしています」
「余裕は無いよね」「余裕は無いわね」
そんな会話でした。
自分はさて置き、相手の指導だなんて余裕は無い。お喋りをしている余裕は無い。間違ってしまって(照れ笑いだとしても)笑う余裕は無い。気をいれずに、ただ相手する余裕は無い。
「本当、必死で精一杯、一心だよね」「そうね。それが無心ね」
『 無 心 』
今年度から管理人が勝手に発行し始めたアトリエKなぎなた通信の初回の言葉の玉の言葉です。
無心とは、何も考えないことではなく、一心に思うこと。
一度だけ、管理人は体験しました。今年の4月のある日、先生との自主練の時。下の子がいました。子供の声はよく聞こえるのに、それは全く意識の外でした。ただ師である母との形の稽古のみ。終わってから母にそう話しますと、「無心になれたんだね」と言われました。それを感じたのは、後にも先にもそれ一度だけです。愛するアトリエで、他に人が居なかったことも層を成したのかもしれません。向かい合った空間が丸く囲まれて、守られているような、それでもって外とすぐに繋がっているような感覚でした。余裕が無く、兎に角精一杯、必死で母の打を応じ、そして打に行った時、無心になれたようです。
それから少し経って、同じ4月中の土曜稽古の時に母と合わせた時、本当に合気になって出来るようになりました。それからは、母は「やっと合気になれた」そう嬉しそうで(今まではY先生とだけだったと)、「合気でやるので疲れる」とまで言ってくれるようになりました。かたや私は、いつだって全力で行っています。ですが無心の感覚はあれ以来ありません。近い感覚、、あるような気もしますが、あの大先生、大先輩の母が合気でやれると言ってくれるんだから、こちら、本当に余裕なんてありませんよね。兎にも角にも、師、じゃなく、母にがっかりさせたくありませんので。そこには師弟なんてありません。娘として母に満足してもらいたい一心です。そこにはいつでも命懸けで稽古をしている母と私が居ます。
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