5月27日のお稽古。守・破・離。

5名(内1名幼児、早退)。

一対多数、しかけ応じ1本目。

形3本目。1本目からおさらい。

道具をつけて打ち返し、基本打突(パターン)、地稽古、掛かり稽古、引き立て稽古。

稽古は先生と3人の方という、かなり濃厚な稽古だったようです。


管理人、最近とても理解したことがあります。上手か下手かは重要では無く、正しい稽古をしているかどうかが大切だということ。上手下手は主観的にも客観的にもそれぞれの修行過程に持ちうるそれぞれの概念です。私は誰かから見たら上手なのかもしれませんが、他の誰かが見たら下手なのかもしれない。だとしたら私は上手なのか?下手なのか?先生だってそうです。範士の先生に向かって上手下手とは、、と思われるかもしれませんが、先生だって上手に出来る時もあれば下手な時もあります。人間だから必ずね。私たちから見たら上手に見えても、その上の偉大なる先生方から見ればまだまだなのでしょう。初心者の方が下手なのか、と問われましたら下手だとは言えませんね。それぞれの段階だからです。思い切って自然な体の動きをしている子供たちはお手本のようでもあります。

先生がご自分のことをお話しされるときに、本当に自分は体現出来ているかを考えてご指導されているとありました。そして、その日の気候、体調や気分によっても技は左右されると。だとしたらなにがなぎなたにおいて大切なのでしょうか。

やはり、正しい稽古・心構えです。基本・理合に沿ったもの。基礎から正しい稽古を学んでいれば応用も難しくはないのです。しかし、時間がかかりますがね。けれどもどなたも上に行くにつれて(特に指導者となれば)基本の大切さを痛感するのであります。

なぎなたハンドブックの16ページに守・破・離が載っています。

守・破・離

稽古事の修業の段階は守・破・離の三つとされてきました。

① 守 理にかなった正しい基本技能の教えを忠実に素直に守って修練する段階。

② 破 基礎的技術に基づき応用的技術を自ら工夫研鑽して習得し、実践力を上達させる段階。

③ 離 離は離れることで、破の時期における修練の目標からも離れて、自分で最高の境地に達すること。また、自己独特のものを生み出すことで理合いを熟し、それと基盤になる技を修め、無念無想の心境を求め、至芸に達すること。

と記されています。

先日これを読み、母に(先生に)「お母さんはもう離の段階に入っているのね」と言いました。一番近くで母の稽古を見ている娘として、弟子としてそう感じているからです。すると母はこう言いました。「そうかもしれないけれど、常に守でありたいと思うよ」これを聞いて、ハッと気づかされ、そして本当に母らしい、母を体現した言葉だと感じました。母はアトリエはもちろん、出稽古にお呼ばれして行きますと、必ず基本を多くします。ばかり、と思う時もあるぐらいです。もしかして物足りなく思われる方もいるかもしれないぐらいです。(ちなみに母の言葉は、祖父が剣道の稽古の時に切り返し(なぎなたなら打ち返し)を長く(30分ぐらいは)するようにしていたというところから学び取ったものです。)

師である母から学ぶことは沢山あります。そして常に母のように謙虚でありながら気位が高い(⇦最も難しいことです。気位は今日明日創れるものでは無いですから。人によって創られるものだとも思います。)、そういうなぎなた修業者を目指して修練していきたいと思っています。

アトリエK なぎなた教室

茨城県水戸市にあるなぎなた教室のHPです。

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