5月10日のお稽古。アトリエ。
11名(内幼児1名)。
一対多数のち、しかけ応じ1−8本目を通して一度。
しかけ応じ2、4、8本目。
形3本目。
道具をつけて打ち返し、地稽古。
この日も濃厚な稽古内容でした。
毎回、稽古の度に(自主稽古を含め)新しい発見があります。そして次の稽古には絶対忘れず、確実なものにしていこうと思います。そうしなければ次に進めないからです。先生とのお稽古で煌めきを感じたらそれを忘れないようにと、じっくりと自分の中で織り広げ、自分の技に成るように繰り返しイメージをします。稽古で、誰かに話したくなるようなワクワクする発見や感動があれば(管理人はいつもそうです)、どなたかそれをわかってくれる人に話します。認めてもらうことは大切です。
お稽古をされている方は、皆様きっと次の目標があるでしょう。年齢的だったり身体的だったりを考えて昇段を考えていない方もいらっしゃると思います。だとしても、お稽古をするからにはどなたも自らの技の上達を望んでいるはずです。そしてお稽古を通して、技だけではなく内面まで磨かれるように、それは毎回唱和しています、なぎなたの指導方針にも現されていることです。
「アトリエは秀と私が稽古するために建てました」何度か先生がそう言うのを聞かれた方もいると思います。本当に、初めはそうでした。初めの初めは、倉を改造して、2人だけの形の稽古場を作ろうと、建築屋さんに相談をしたりしていたのです。
しかし100年以上前に崖の近くに建てられたものをリフォームすることは、現代の建築基準法によって容易ではありませんでした。倉を稽古場にするのが無理ならば、「道場を建てましょう」そう提案しました。母も私も生まれた時からずーっと、邸内に道場があって、自宅から徒歩数秒で通っていたからです。その道場が移転したならば、また新しい稽古場を作りましょう。私たちはそうやって生まれ育ったのですから。
新しい道場はなぎなた専用の、明るく綺麗なものにしようね。(古い武家屋敷に育った母は、そのせいか洋風なものが好きであります)そして名前は「アトリエ」に。「サロン」「スタジオ」幾つかの候補がありました。初めのうちは「秀明館」(๑•́ ₃ •̀๑) 母が考えたものです。秀らしく明るく、との思いで考えてくれたようですが。。他を考えなければアトリエは秀明館だったようで。。。アブナイ、アブナイ。
でもどう考えてもアトリエを2人だけの道場にしておくわけにはいきません。先生の元で正しいなぎなたを学びたいと、ついてきてくださるお弟子さんたちがいたからです。
アトリエは自宅の離れとして家族の団欒や子供達の遊び場に、そして自分の稽古場として利用していますが、建築が終わった六日後にアトリエKなぎなた教室を開講しました。ちなみにKは小澤のKです。
なぎなた教室として、技はもちろん正しいものをお伝えする。そして正しさだけではなく、美しさも。これはなかなか表現することは難しいことです。なぎなたの柔らかさ、しなやかさ、薙の線。そして、師と弟子と、仲間との美しい関係。目指すところはそこに在ります。武道としてだけではなく、芸術的な美しさを兼ね揃えたなぎなた。そこには心が暖かくなる優しさ、穏やかさもあります。それが「アトリエ」、芸術家の集団です。
数週間前の稽古日に母と形を合わせました。今までには無い感覚がありました。それは母も同じでした。初めて母と合気になれたのです。それまでは合わせてもらっていたことが分かりました。それからの毎回の稽古は絡みついてうねるような、それでもってスッと真っ直ぐに入って行く(来る)ような、そんな呼吸です。母とこんな関係になる日が来るとは思いもよりませんでした。いえ、こんな感覚があることすら知りませんでした。
これは2人で生み出せたわけではないということをお伝えしたいのです。母との稽古は勿論、毎回皆様と一緒の稽古があるからです。それは相対するだけではなく、母の指導、皆様の稽古の見取り稽古、時々お伝えさせていただくこと、そしてこのブログ。この1年、きめ細かな稽古を皆様と積んでいったからです。
毎日一緒に稽古をしていて、最近母は「もっと上手になるわ!負けない!」と言っています。(勝ち負けの負けではなくね)すごいなーと思います。稽古は一生というのは分かっているつもりでしたが、でも、もっと上手って、先生、大先生の域に入っているんだから伸び代はそんなに無いんじゃないかしら?なんて思ってしまいました。が、稽古は一生なんですよね。どんどん深く、まさに奥義に近づくのですね。
この日の稽古も終わってから形を合わせました。良い時の70%ぐらいの出来でしたが、お互い全身全霊を出し、ゼィゼィハァハァ。
そして帰宅したら、「なぎなたで青春をしている」そうです(((o(♡´▽`♡)o)))なんて素敵でしょう❤︎本当にアトリエの稽古は楽しいし、技の工夫は面白い。
アトリエに入ったところに手拭いを飾りました。ドアを開くと目の前にあり、緊張して背筋が伸びます。本当にこの句はアトリエと私たちのためにあったんですね。
「薙刀の 道ひとすじや 明の春」
そう詠んだ祖母は剣道人生を歩んだ祖父と共になぎなたの道を生きました。そして母もその道を歩んでいます。きっと私も歩んでいるのでしょう。皆様は様々な思いでお稽古をされていると思います。アトリエにいらっしゃる時は、どうぞ皆様もなぎなたの道を生きるつもりでお入りください。どう考えてたって麗しいdays!
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