7月1週目のお稽古。通過点。
1日、2日、4日。
水曜日、少人数で最高の稽古を続けております。
木曜日、小手をつけて薙ちゃん。皆頑張りました。子供たちは学校から帰って(しかも木曜日の)稽古に来てくれています。疲れてヘトヘトになっているはずなのに、一生懸命になぎなたを振ります。
土曜日。悩み多き若手との稽古。
全身全霊で向かっていける先生、先輩が居るということは、本当に有難い。全てが先を行っている方との稽古は、全てが信頼です。安心して、自分の全てをぶつけることが出来る。
いつも思うことは、年齢や経験が未熟な自分が、指導者としてどう皆様に向き合うか。それは人生の先輩方にだけでなく、若い年代の人たちに対しても同じです。
1年ぐらい前から、相対しての稽古の最中、相手の動きがよく見える様になりました。そしてここ最近本当によく見える。手の通い方、握り方、体のさばき方。当然こちらも必死になって向かい合っています。見てやろうなんて気は全く無く、いかに自分が正しく表して、相手との呼吸、そして相手を引き立てるか。そんな中、相手の動きが自然と見える様になってきました。
半年ほど前、脇構えに気づいてお伝えしたところ、「向かい合って稽古をしていても見えるんですね」とお相手に言われました。見えるんですよ。決して見てやろう、なんて気を抜いていないのですが。
少し前下の姉に、「目を見ている(離さない)のに他のところが見えるの?」と聞かれました。見えるんですよ。その時は母と一緒でしたので、母を見て頷きました。
「目を見て、全体を観ているの。そして観えるの」
笑顔な母。そう言った時、少し母に近づけたかな。生意気にもそう思いました。
なんだかねぇ、最近急にいろいろ見えるようになってきたんです。自分でも驚いています。
上に記したお二人の感想の様なものは、私には今まで在りませんでした。先生は、先輩は見えて当たり前だと思っていました。それに対して進化中の自分が見えているとか見えていないとか、考えてもみませんでした。 ですから、今の自分に戸惑っているところもあります。
国体は延期で審判研究会も中止、3種の養成も中止となりました。東日本大会はどうなるのか。そして皇后盃は。
選手として活躍していた皆様、それぞれの大会を目標としていた皆様、なぎなたを楽しんでいますか?
目標を失った今、「何故なぎなたをしているのか、分からない」そう感じている方もいるでしょう。
「何故、なぎなたをしてきたのですか?」
大会に出場するための切符を得るため?大会で自分をアピールするため?勝ちたいため?
原点に戻ってみてください。稽古が楽しいからでしょう。全然上手くならない自分がいたり、うおっ!と思うぐらいの技の発見があったり。全てにおいて自分の成長を感じられるから、楽しいからなぎなたを続けているのですよね。大会や審査は、通過点であるだけです。
大会や審査が無い今は、気持ちをラクにして、自分の稽古、つまり自分が上手になる稽古をすれば良いだけですよ。
いつかはね、いつかは、自分が審査(審判)する側に立つのですから。
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