茨城国体なぎなた競技。
令和元年9月29日から10月1日の三日間に渡り開催されました茨城国体、なぎなた競技会が無事に終了致しました。茨城県、総合優勝を致しました。皆様の心からのご支援、ご声援、本当にありがとうございました。
「終わりの始まり」
管理人は放送委員主任で、アナウンスの方にキューを出す役目です。それは総務副委員長、式典委員または競技委員長からインカムからの指示でキューを出したり、式典・競技の進行状況をみて自らキューを出す役目です。
スケジュールより5分早まった開会式の通告を放送原稿で確認し、競技会会長が登壇したのを確認して、開会式の開式通告にキューを出しました。
「只今から、『天皇陛下御即位記念 第74回国民体育大会(いきいき茨城ゆめ国体)なぎなた競技会のオープニングプログラムを開始いたします。」
隣に座るアナウンスのHさんが原稿を読み始めた時、途端に、(国体が始まってしまった。そして終わってしまうんだ)という恐怖とも言えるような喪失感に襲われました。数え切れないほどの多くの人たちによって何年にも渡って築き上げられてきたこの、茨城国体が、なぎなた競技会が始まってしまった。何度も何度も放送原稿を読み合わせてきました。直前の大阪の審判研究会への往復は総務副委員長のY先生と一緒に、新幹線の中で読み合わせて、校正を重ねてきました。何度も確認してきた原稿は、もう二度と読まなくなるんだ。大勢で必死になって作ってきたものが終わりに向かって動き始めた瞬間でした。
それはまさに「終わりの始まり」が始まった瞬間でした。
時間が止まって欲しい。
そう思ったのも束の間。
競技が始まれば休む暇はありません。どの競技も3回戦からは勝ち上がっていった組み合わせを間違うことが無いように、神経を研ぎ澄ませながら業務に打ち込みます。全ての競技役員がそうであるように、また放送も試合結果と審判交代のお知らせにてんてこ舞いでした。
早く競技が終わって欲しい!!
開会式の時の思いとはうって変わって、正反対の気持ちで業務を進めました。
始まって、終わってしまえばあっという間でしたね。
「きれい」
少年女子の演技競技、茨城県が優勝しました。管理人、二週間前の大阪の審判研究会の時、茨城の優勝を確信しました。大先生、Y先生、コーチ、選手たちに言いました。「必ず優勝します。大阪で確信したから。」大会までの二週間、皆に会う度に、稽古を見る度に確信度は増し、そう言い続けていました。直前の金曜日にも少年の演技の二人に会って、「必ず優勝するからね。間違いない。」そう告げました。
それほど、確信があったからです。競技をご覧になった方ならお分かりだと思います。
本当に二人は1年間、小澤先生の元で(アトリエで)週1回稽古を重ねてきました。それはそれは厳しい稽古でした。側では小・中学生が賑やかに稽古しています。その隣で、先生からのご指導を頂き続けました。高校生からなぎなたを始めて1年半の二人。武道家として半世紀以上、そして競技としても国体の審判長までされた範士先生からのご指導を受けるのです。正直、そばで稽古を見ている者として、それ自体が厳しく思われました。
「しかけ応じも半分なんだからね」先生はおっしゃいました。本当にそうなのですよね。どうしても道具をつけて、試合の稽古に励んでしまう傾向にあります。しかし、競技は演技競技と試合競技。半分半分なのです。国体の点数で言っても半分。
「しかけ応じは基本の組み合わせだから。基本をちゃんとやったら、必ず(上に)行けるから」「しかけ応じの相手は自分だから。そして相手(パートナー)だから」
だから正しいものを稽古すれば必ずや。
結果の通りです。
1年間毎週、同じことの繰り返しでした。稽古の最後には出来上がるけれど、次週に来たら元に戻っている。ずっとその繰り返しでした。(もちろん強化練習にも先生は参加されていました) 「もう来なくてもいい」そう告げたことも何度もありました。
稽古は厳しいと記しましたが、目に見える叱咤激励なんてありません。先生の要求が、稽古としての、なぎなたとしての最も深いところにあると言うことが厳しいと言うことなのです。その対象が高校の部活動でたった1年半なぎなたをしてきた子供達だと言うところなのです。5年稽古したって、10年稽古したって30年稽古したって難しいことなのに。
なぎなた競技2日目の朝、高校生に会って「おめでとう。当然の結果ね」そう言いました。二人も「はい」笑顔で応えてくれました。当然の結果なんです。あの二人は、この短い中、なぎなたの最も厳しい稽古を味わいました。これからどう進んでも、本当に一生の宝だと確信します。
国体最終日、大会が終わった後に関係者の方に、結果に結びついたアトリエでの子供達の稽古のお礼を言われました。
「当然の結果です。あの子たちは本当に美しい演技をしてくれました」そう言いますと、驚いたかのように、そしてホッとして、「開催県や贔屓目だったのかと思いましたが、ある県の監督が茨城の子供達の演技を見て、「きれい・・」そう言ったのが聞こえたんです。本当だったんですね」そう言って涙目になっておられました。
他県の監督から見ても「きれい」と評価を戴けた少年の演技競技。
上手とか、上手いとかじゃなく、美しいこと、きれいと言う言葉。それこそがアトリエの目指すなぎなたです。
上手とか下手は、それぞれのなぎなたの熟練度でしか測れないことです。高校生の上手と、指導者の上手とが違うように。しかし、美しさとは。正しさ(正確度)から生じる美しさ。これは本物だと信じています。
親娘だから分かること、話せることなのでしょうか。成年試合競技準々決勝の後、休憩が入りました。私が放送席から離れた時、母がひな壇から降りていました。ちょっと、、と呼ばれて側に行きますと、「点数はどうですか」心配した様に聞かれました。「もう、何位でも総合優勝確定です」笑顔でそう言いますと、「あぁ良かった」本当にホッとしまして、ほんの少し母が小さくなったように見えました。
実際に戦うのは選手です。ですから選手は最もプレッシャーを浴びて一番苦しい。ですが大先生はお立場上、最も矢面に立たされる位置におられました。それぞれが苦しく厳しい立場。1年間其れを側で見てきました。
だから、終わったことにホッとするとともに、終わらせたくないと思った私がいます。
アトリエは、正しいなぎなたを伝えることができる指導者を育てる道場です。続けていけばゆくゆくは誰もが指導者になります。正しいものを学び伝える。それがアトリエです。
去年のリハーサルでも待っていたけれど会えなかった広島のお友達。リハーサルには参加していたようだけど、国体には来れなかった静岡のお友達。お会いしたいですね。その日を楽しみに、一生懸命に研鑽します。
0コメント