なぎなたの道。

夕食後、いつも通り母と稽古の話をしていました。


「なぎなたの道は、広く無いのかもしれない」


「(辿る)足跡はほとんど付いて無いのかもしれない」


「自分で一歩一歩、歩いていかないとならないのかもしれない」



そうなのですか。お母さん。私はいつもあなたから多くを学んでいます。なぎなたに関しては全てをです。


守・破・離

 稽古事の修業の段階は守・破・離の三つとされてきました。

①守 理にかなった正しい基本技能の教えを忠実に素直に守って修錬する段階。

②破 基礎的技術に基づき応用的技術を自ら工夫研鑽して習得し、実践力を上達させる段階。

③離 離は離れることで、破の時期における修錬の目的からも離れて、自分で最高の境地に達すること。また、自己独特のものを生み出すことで理合いを熟し、それと基盤になる技を修め、無念無想の心境を求め、至芸に達すること。


なぎなたハンドブックにある、守・破・離を読んだあと、「お母さんは離の段階なのですね」そう言うと、「そうかもしれないけれど、いつも守でありたい」そうあなたは言いました。最たるところに居る方の、基本を最も大事にする言葉に驚き、感動しました。

誰も同じ人間ではないので、その時点で同じ道は無いのかもしれません。でも、私を含め、弟子たちは皆、あなたの後を、足跡を追っています。

究極の、離の境地に居るお母さんだからこそ感じる、「なぎなたの道」なのでしょうか。

0コメント

  • 1000 / 1000