2月1週目の稽古。
2月2日水曜日の稽古で、初めて母の形を観ました。
幼児のお守りをしながらでしたので、最初から最後まで目を離すことなく、では無かったのですが、初めて。。母が、大先生が充分に相気で形ができるお相手はY先生だけですので、管理人はいつもならお二人の呼吸であったり、間合いであったり、技の攻防を見取り稽古させて頂きます。ですが水曜日は大先生の動きのみにフォーカスして見取り稽古をしました。これが初めてだったのです。
なんというか、、物凄い。一生懸命なんです。それは私たちも同じなんです。私たちも稽古で、形で必死に、一生懸命に気を入れて稽古をしているの。先生ももう必死で、一生懸命になさっているのです。それに加えて、「技術」なんです。本当に「技術」なんだな、と改めて感じました。
一朝一夕では得られない技術。10年20年の稽古では得られない技術。
生きている限り、身体の動く限り修練、ですね。
なぎなたの技、つまり技術を得るには?稽古を積むこと、正しい稽古を積むこと。できれば導入も正しいものが良い。あとから稽古場を変えても初めに身体に染みついた癖を無くすのは非常に困難です。
工夫して、気づきを持って、研究。理合に沿った稽古。
理念に沿った稽古。
なぎなたは、なぎなたの修錬により、
心身ともに調和の取れた人材を育成する。
なぎなたはなぎなたの正しい指導により、
技を錬り、心を磨き、気力を高め、
体力を養うとともに、
なぎなたの特性のなかにいきる
日本の優れた伝統を学び、
規律に従い、礼譲尊び、
信義を重んじ、毅然として
広く平和な世界に役立つ人を育成する。
指導方針って、自分を自分で指導するということですね。
なぎなたですから、技を錬りが一番先にきます。技、わざ、技術なんです。
心を磨いても、どんなに気力があっても、モリモリ体力があっても、技があってこそのなぎなたなんです。ですが、心も気力も体力も無い技は有り得ません。それは大先生が証明してくださっています。傘寿を過ぎてから、さらに気力が満ちて、ご自分の稽古に対しても心を尽くし、美しく、体力を維持されている。
「わたくしの全てをお伝えします」
80歳を過ぎてからは時々、こうお話しされます。
果たして、受け止める側は、用意ができているのか。
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