なぎなたの理念・指導方針
なぎなたは、なぎなたの修錬により、心身ともに調和のとれた人材を育成する。
なぎなたの正しい指導により、技を錬り、心を磨き、気力を高め、体力を養うとともに、なぎなたの特性のなかにいきる日本の優れた伝統を守り、規律に従い、礼譲を尊び、信義を重んじ、毅然として広く平和な社会に役立つ人を養う。
毎回、稽古の始まりに、理念と指導方針を唱和します。稽古の度に暗唱しています。
週3回、年におおよそ130回読んでいます。1年の3分の1。三日に1回。これが自分にどんな影響を及ぼすのか。
毎回、読み始めるとともに、頭が垂れてきます。うなだれる、と言った方が正しい様に。稽古が始まる時は嬉しくて意気揚々としているのですがね、理念・指導方針を目の前にすると。。
心身ともに調和のとれた人材。
調和・・・ものごとの間に釣り合いがとれていること。
心も体も(精神も肉体も)釣り合いがとれた人間。ということでしょうか。
なぎなたを修練することによって、技を錬り、心を磨き、気力を高め、体力を養う。そして日本の優れた伝統を守る、これは実にそうであります。
規律に従い、礼譲を尊び、信義を重んじ、毅然として広く 平和な社会に役立つ。社会のルールとして規律に従うことは当然であります。ですから多くの人は従うようにしているでしょう。続けて、礼譲を尊び、信義を重んじ、毅然として広く。
礼譲・・・礼儀をつくして謙虚な態度を示すこと。
信義・・・偽ったり欺いたりせず、真実で正しい道を守ること。
毅然・・・意志が強く、物事に動じないさま。意志・新年を断固貫くさま。
この三つは、なぎなたを修錬していくことで本当に身につくことが出来るようになるのでしょうか。
(スーパー大辞林より)
『なぎなたを修練することにより、心も体も釣り合いがとれるようになり、正しい指導を与える/受けることにより、さらに技を研究し、心が豊かになり、気力も高まり体力をも養うことができる。また、礼儀を尽くして謙虚な人間になり、偽らず、欺かず、強い意志を持って真直ぐに真実である人間に成ることが出来る。』
理念・指導方針をストレートに分かりやすく訳してみました。
どうですか?素晴らしいですよね。これを読んだら今直ぐにでも、なぎなたをやりたくなるでしょう。子供の親ならば、直ぐにでも子供に稽古をさせたいと思うでしょう。
でも。
誰も、、この様な人はいません。限りなく近い人はいるでしょう。しかし、人間には大変困難な道のりです。きっと辿り着くことはないところなのでしょう。
だからこそ、天にいらっしゃる大先輩たちはこの理念・指導方針を制定してくださいました。
【なぎなたは、なぎなたの修錬により、心身ともに調和のとれた人材を育成する。】
【なぎなたの正しい指導により、技を錬り、心を磨き、気力を高め、体力を養うとともに、なぎなたの特性のなかにいきる日本の優れた伝統を守り、規律に従い、礼譲を尊び、信義を重んじ、毅然として広く平和な社会に役立つ人を養う。】
『なぎなたを修練することにより、心も体も釣り合いがとれるようになり、正しい指導を与える/受けることにより、さらに技を研究し、心が豊かになり、気力も高まり体力をも養うこともできる。また、礼儀を尽くして謙虚な人間になり、偽らず、欺かず、強い意志を持って真直ぐに真実である人間に成ることが出来る。』
私たちの先生はいつも言います。
「そんなに誰にでも簡単にできることなら理念・指導方針にならない。誰にも到達出来ないことだから、理念・指導方針になったのよ」
誰が好きで誰が嫌い。誰は良くて誰は駄目だ。誰を取り囲む、誰を排除する。羨み、妬み、他者と自分を比べてなのか、時々そういう言葉を聞きます。
そうじゃないでしょう。私たちはなぎなたを稽古しているんでしょう。理念・指導方針はなんのためにあるのですか。私たちがなぎなたを修錬する目的は、心身ともに調和のとれた人材になるためなのですよ。礼儀を尽くしましょう。謙虚でいましょう。他人と自分を比べないでください。それぞれが充分に素晴らしい修錬者なのです。しかし、偽らず、欺いてはなりません。誠実でありましょう。そして寛容でありましょう。
いつもいつも、自分はどうなのか? 問いています。私は変わることができるのでしょうか。
どんなに偉い先生でも、どんなに有名で優秀な選手でも、なぎなたを始めたばかりでなぎなたを大好きになった初心者の方でも、ともになぎなたを愛し、なぎなたの理念・指導方針を胸に、なぎなたを修錬する仲間でありたいと思っています。
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