2月7日(水)、お稽古。命日。
11名(幼1)。
一対多数。しかけ応じ2、3、6本目、
形7本目。
道具をつけて打ち返し。
引き合う稽古、できたでしょうか。引き合う稽古は、技と相手に没頭している様です。自分の修正点を考えている時はなかなか、、できませんね。お相手は一心に向かってきてくださるのがわかりますが、技の工夫をしている時にはそれを受けきれません。
「巻き落とした時の重心はどこにあるの」
先生のご指導の声が聞こえました。当然、わずかな割合で前足にかかります。では、払いは?その時大きく心に響きました。5、6年前、東武館で榎戸先生にしかけ応じをお願いした時、7本目の応じで、「それは払っているのですか」そう問われました。私は何を言われたのか分からず、でも体さばきをつけて払っていましたので「はい」そう答えました。「そうですか」。その時それについては先生からはそれ以上ご指導をいただけませんでした。 しばらく考えました。そして今日この稽古の日まで、いつも考えていました。払うこと、手の内か、体さばきか。体で払うこと。
「巻き落とした時の重心はどこにあるの」
(つまり、これは払いと同じなのか・・・)そう理解した管理人は、お相手をつけ、しかけ応じ3本目の胴を応じてからの払いに意識を向けました。払いとは体さばきをつけ、手を通わし、相手のなぎなたを払う。しかしその瞬間、自分と相手のなぎなたの接点に、、気を込め、体重をほんの少しかける。いえ、体重をかける、と述べてしまうと綾があるかもしれません。
あの時、榎戸先生に戴いたご指導の意味は、「あなたはただ後ろに体を引いて払っているだけではないのですか」 こうだったのかと知りました。7本目の応じは上段の姿勢から胴を応じ、払い振り返して面を応じ、払い、もう一度振り返して面を応じ、払い落とす、しかけ応じで最難関の技であります。多くの人が、相手の3本続く技を応じるのにハァハァゼィゼィなるような応じです。(しかけもかなりハァハァゼィゼィですね) 必死に下がりながらなんとか相手を応じて、なんとか体さばきをつけて払って応じて。応じるという約束事をしているだけで、ただ、出てくる相手の技から逃げているだけだったのです。体さばきをつけて下がっているつもりだったのですが、引いていただけだったのです。
実はそれからも何度か大先生、Y先生との稽古でご指摘を戴いていました。その時は(ああ、そうなんだ。重心をかけるんだ)こう思ってはいましたが、それだけになっていました。
払い技。相手のなぎなたを体さばきをつけて払うので、形としては後ろに下がるかたちになります。ですが自分のなぎなたを引きながら払う。これは理合にかなっていませんね。払いも技です。
中村先生の講習で、「残心。打っても残心。払っても残心。構えても残心」このようなご指導がありました。払い・応じは技なんですよね。払い技をしかける。引いていては技をしかけることはできません。払い技をしかける。それならば残心があって当然ですね。構え。試合の得意技で中段からの踏み込み脛が得意技。下段で相手の足元を攻めて出てくる相手のなぎなたを払っての打突が得意。 だとしたら、構えそのものも技の一つですね。
払った瞬間、体が、なぎなたが引いていたらどこに残心があるのでしょうか。
5年かけてやっと自分で理解ができました。どんな技も人に言われても(なるほど)ぐらいです。自分の技にするのには、本当に自分で気がつかないとなりません。一つの技を理解できるまで5年かかりました。全ての技は全てに繋がるのはわかりますが、あと何十年稽古をすれば大先生に近づけるのでしょうか。一生かけても辿り着かないのかもしれませんが、ただ一心に技を練り、心を磨き、お伝えできるように稽古するのみです。
2月7日。故 小澤喜代子先生のお命日でした。平成13年のこの日の夕方5時。東武館の少年部の稽古開始の太鼓の合図とともに息を引き取りました。満95歳でありました。私も自宅の祖母のベッドで母と姉と共に看取りました。
アトリエのSさんが桜餅を大先生(喜代子先生)に、とお土産をお持ちくださいました。稽古の後、先生はアトリエに掲げている写真の足元にベンチを用意し、お茶とお供えをしました。 帰る前、Sさんは静かに、喜代子先生のお写真を見上げ、手を合わせてくださいました。
この地でなぎなたを稽古できることを感謝します。
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