出稽古・・・時間が無い・・・でもアラハン。

母が出稽古にお呼ばれしたので、娘たちと一緒にお供させていただきました♪

良いお稽古でしたね。管理人は昨年の夏振りでしたが、なんというか、、お稽古の雰囲気がぐっと、、アトリエと重なりましたヾ(*´∀`*)ノ 一つ一つのお稽古は丁寧で、そして緊張があり厳しくもあります。でもその中に穏やかになるような柔らかく、優しい空間を感じました。

母がね、とーっても嬉しそうにお伝えしていたんです。管理人、嬉しくなっちゃいました♪ ちょうど、初二段ぐらいの方達にご指導させていただいていて、嬉しくて仕様が無いって顔が綻んでいましたよ(o´艸`o)ァハ♪ そう、初二段ぐらいの方は初心者の方よりはなぎなたに慣れてきていて、なぎなたの面白さが分かってきたころですね。だからそういう方達にご指導したいと前から言っていました。でもね、熟練した錬教士とじっくり技の研究をしたいとも言っています。そして、子供は勿論、初心者への手解きも楽しいわと。でも三段四段と、なぎなたにハマってもう抜け出せなくなってしまった方達へさらになぎなたの面白さ、稽古の楽しさを知ってもらいたい・・・と、結局は全員対象です'`,、('∀`) '`,、 オールマイティですな。そしていつも「一緒に稽古しましょう」と言いますね。


少し前に母が「あと10歳若かったらもっと動けたんだけどな」と言いました。 そうですね。動けたと思う。 数年前、東武館の移転が決まって、邸内から道場が無くなるということを考えた時に、育児で稽古から離れていた私は(なぎなたをやりたい!)と思いました。(母とやりたい。母に教えてもらいたい)そう強く思いました。それまでは上の子を授かってから数年、年に片手で数えられるぐらいしか稽古にでていませんでした。春暖かくなってきた時に、なんとなく稽古がしたくなったから、ぐらいの感じです。そして夏は暑いから稽古はしません。秋も怠く面倒です。寒い冬は勿論炬燵です。そしてまた春に道場に現れる、、モグラのようですかね。。母も「五段までいってくれたんだから充分よ」そう言っていました。でも、数年前、心からなぎなたをやりたい、続けたい、上手になりたい!そう思ったんです。道場が無くなるという事で当たり前に出来たことが出来なくなるという感覚が分かったんでしょうね。恐怖、ではありませんでしたが、どうしよう。そう思いました。東武館が移転してから数ヶ月、移転先で稽古をしましたが、ちょっと遠くて、、(o´艸`o)ァハ♪ 邸内の空いた場所になぎなた専用の道場を建てることに決めました。(ひょっとして、多分、なぎなた専用の道場って日本でここだけかも?なんて思う時もあります) アトリエが出来るまでは寒い体育館で稽古をしたりもしました。心から稽古をしたいと思って次に思ったことは、時間が無い!でした。母が元気に道場に立てるのはあとどれぐらい?10年立てる?分からない。10年20年、思う様に動けなくなっても指導はもらえます。だけど、相対しての稽古はどれだけ出来る?焦りました。こうしては居られないと。それから2、3年が経ちました。母はその頃よりも輝いています。私も嬉しい。稽古場は最高の充実です。でも焦りはあります。多分いつまでも、あと10年いける?と思い続けて、20年ぐらいはいってもらおうと思っているのですが、それまで私はどれだけ学べるか、身に付けることが出来る様になるのか。充実しているのですが、兎に角、母から貰える最高の宝を学ぶ時間が無い、、のです。


「アラハンって知ってる?」数日前、母に訊かれました。ご存知ですか?

アラハン、、「半分ぐらい?」

「アラウンドハンドレッドだって」

100ぐらい、、アラウンド100歳ということだそうです(´⊙ω⊙`) 超高齢社会になってきている今、アラハンという言葉が使われる様になってきているそうで、、私より先に知っていたことに喜んでいる母です。10年前から100まではよろしく!と言っていたのですが、いよいよアラハンが普通に?使われるようになってきたので頑張ると宣言してくれました。しかし10年前から10年経っているので、110歳までよろしく!!ですね。


母からなぎなたを習います。でもその時間は限られています。ですから以前よりもっと、なぎなたを振っている時以外の母との時間が濃厚になりました。もっともっとなぎなたを話します。色んな、沢山のことを話します。そこからも母の得たなぎなたを学んでいます。そして母は新たなお稽古を始めました。再開とでも言うのでしょうか。私はそれは全くの素人ですが、母を先生にして、またそこから、なぎなたの稽古を積んでいった母の心を学んでいこうと思っています。本当に母は全てを与えてくれる人です。

アトリエK なぎなた教室

茨城県水戸市にあるなぎなた教室のHPです。

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