アトリエの資料
毎回見上げる肖像、大先生です。平成13年に他界された時に全なの機関紙から編集したものです。
1986年の読売新聞に掲載された先生の記事。30代の先生、可愛い₍₍ ( ๑॔˃̶◡ ˂̶๑॓)◞♡
アトリエは新しい道場ですが、継がれてきた深いものがあるのを感じます。
『武の道は、子どもの純な世界と通じるところがあるのでは』
そう考えた母は素敵だと思います。私たちの歩んでいるなぎなたの道が、あの、純粋に歩き回っている小さな娘の世界と通じているのかもしれない。
「小さな子供は神様なのよ。だんだん人間になっていくの」
いつもそう教えてくれます。
「子供は本当に特別なもの。大切に大事にするのよ」
「子供が大好きなの」
私たちの先生は幾つになっても純粋なんだと思います。
祖母と並んでいる祖父も子供が大好きでした。祖父からのものでしょうね。
祖父の書いた小冊子です。
先生の母、大先生のことを何度かブログでも書きました。先生も大いなる師と仰いでいます。昭和51年に当時少なかった範士の称号を戴きました。全なの設立にも関わった方ですが、現存するなぎなた関係の資料の著者には名を連ねていません。先生が「家が忙しかったからね」としばらく前に言っていまして、管理人も(忙しかったんだよなぁ)と思ってみていましたが、画像の上の「剣と私」を読むとますますその訳がわかりました。大先生は水戸東武館の運営に夫で館長の右腕となって切り盛りしていたからでした。祖父は海外遠征もよく祖母と行っていました。そして祖父が留守にする時に家にいる祖母は、留守の道場を切り盛りしていたんですね。そして、東武館長の夫の力を借りて茨な連の設立を成し、理事長として連盟を運営して行ったということです。
大先生は古い範士先生でも、全なの本の編集には出ていないなぁ。。と思った方もいらっしゃると思います。大先生は本当に忙しく、水戸東武館と茨な連の為に活動されていたんですね。今私たちが充分に稽古が出来る土壌を作っていてくださったということです。少し安心したでしょう。質実剛健の水戸の人間らしいですね。
今回の最後にコレ。古くて新しいなぎなたの本。昭和35年発行で当時100円です! なぎなたの長さは〜240cmとあります😮今は平均215cmなので、、25cmも長いなぎなたなんて扱えない!?
アトリエの小さな本棚に、祖父や祖母に関する資料(本)も少しずつ増やしていきます。どうぞご覧ください。
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