7月11日(水)、12日(木)、お稽古。打ち切ること。

11日、10名(幼1)。
一対多数、しかけ応じ2、3、6本目。
形3本目。
道具をつけて打ち返し、基本打突、地稽古。

12日、7名(小3、幼1)。

一対多数、しかけ応じ1、2、4本目。
小手と脛当てをつけて薙ちゃん。
面までつけて打ち返し、基本打突、掛かり稽古。

水曜稽古で、中段でのなぎなたの握りをご指導頂きました。

長く稽古をしていますと、こういう時はほとんどありません。自分はどう握っているのか、改めて省みることができます。そして、先生はどのようにお伝えしているのか。どの言葉を選び、どういう口調でお伝えしているのか。呼吸、視線までも全てが学びの時であります。ですから、管理人、共に同じ動作をするというより、先生の後ろ、斜め、遠目から、舐めるようにウロウロしていましたね。。😁 自分はどうであるか、最も大切なことであります。ですがお伝えする身となれば、対象によってどう伝えるか。なかなか無い機会です。

打ち返しから地稽古まで、誰もが一生懸命に稽古をしています。教え合ったり、他の話をしたりと、無駄口をきいている者は一切いません。

不思議なことです。この時間は各々にとって、最高の時を過ごして居ます。しかし、それは自分自身にとってのみです。誰に褒めてもらいたくてやっていることではありません。皆、なぎなたに魅了され、先生を頼って稽古をしています。そして先生自身もであります。誰もがこの一つ一つの稽古の中で、学び、気づき、喜び、そして達成感が有ります。これが本当の稽古です。誰に見せる訳でもないのです。


木曜日、子供たちを中心に、中味の濃い稽古をしました。


前の週の水曜日、大先生に言われました。「打ち返しのようにしかけ応じをしたら良いのに」。はい。皆様しばらく、「しかけ応じのように打ち返しをしなさい」そう言われていますね。そうです。皆様、道具をつけるとまるでご自身がロボットになったかの如く、カチカチになぎなたを振り回しておられます。しかけ応じのように、大きく、半身から半身への技をしましょう。

で、そんな中、管理人は「打ち返しのようにしかけ応じをしたら良いのに」そう言われました。隣のY先生もウンウンと嬉しそうに頷かれていました。ウチカエシノヨウニ・・・(´-ω-`) 大変打ち返しを褒めて戴きました✌︎('ω')✌︎ 好きなだけあって、嬉しかったです。しかし打ち返しの様に? 管理人が打ち返しが好きなのは、ちゃんと打突が出来るからです。約束稽古ですね。そして道具をつけている。仕掛ける人、応じる人との役割がある。その規定の中で、思い切り、正しい技を相手に打っていくことができるから、好きなんです。刃で応じられる訳でもなく、空間打突の訳でもありません。しっかり、相手の打突部位に打突できるから好きなんです。

そうですね。まるでお菓子作りのレシピの様です。管理人、料理も好きですが、お菓子作りが好きです。レシピを読むのが好きです。お菓子作りはレシピ通りすれば、絶対に間違いません。だから好きなんです。管理人にとって打ち返しはそれに近い感覚です。(ちなみに取扱説明書を読むのも好きです)

正しく習った技を、正しく出す。

上手にやろうなんて思わなくて良い。ただただ、正しく。それだけです。

毎回、それだけの想いです。

「打ち返しの様にしかけ応じをすれば良い」

そう言われて、考えました。管理人が打ち返しを好きなのは、上記の通りで、なぎなたでその部位を打突できるからです。確実に。しかししかけ応じは、特に1本目の面は刃部で応じられますね。打突をする方は、完全に手で止めています。しかし道具をつけた打ち返しは、打突の瞬間手を締めますが、なぎなたで相手の部位を打突できます。つまり、明確に打ち切ることが出来ます。しかけ応じの場合、つなげて打つしかけでは特に(打ち切るってなんだろう)、そう思っています。一本一本の打突ならば打ち切ることが出来ます。しかし、上段者になり、呼吸をつなげて打突すること。それはただなぎなたを引っ張って投げ打っているのではないのか?

早い打突に於いての、打ち切ること。重い課題になりそうです。

アトリエK なぎなた教室

茨城県水戸市にあるなぎなた教室のHPです。

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